前回のあらすじ
中学卒業後、ハーバード大学に一目惚れした僕は、がむしゃらにハーバード合格に向けて動き始めた。当初はハーバード第一志望という進路希望に困惑されるばかりだったが、試験や活動への姿勢を見て、自身の取り組みを見守ってくれるような人も増えた。一方で、実績面でうまく行かないことも多く、ハーバード進学に立ちはだかる壁も感じさせられた1年間だった。
高校2年:失敗、進歩、焦り
高校一年の終わり頃に参加したRoute H(日本において海外トップ大進学を開拓した塾)主催の海外トップ大学進学説明会にて、実際にハーバード大生や講師から進学までのステップを生で聞く中で、自分の現状と彼らの間との大きな差、そもそもの地頭の違いを実感し、東大か京大とアメリカのトップ大学の併願は自分には合わないと考え、本当に行きたかったアメリカのトップ大学のみに出願することを決意しました。
高校一年時に我武者羅にもがいたおかげで、何をどれくらいすれば成績で5が取れるのかというのがわかるようになりました。それまでは数週間かけて対策していたものが、数日、もしくは一夜漬けで対応できるようになったため、そこで浮いた時間をより課外活動に費やすことができるようになりました。高一の冬から参加したStanford e-Japanで特別賞を受賞したり、京都大学法学部の選抜プログラムに合格し大学レベルの法学・政治学を学ぶなど、一年目で経験したギャップと失敗を原動力に改善を続けていきました。高校二年生の5月には、世界の人々の声を多言語で届ける世界最大規模のオンライン市民メディア、Global Voicesの日本語翻訳者として当時最年少で加入し、自身の英語力を活かす活動を始めました。最年少とは言いましたが、実際に重要なのは年齢ではなく、こういったプロジェクトに恐れず参加していけることだと思います。米国トップ大学を目指すにあたり、最年少や~初といったような書き方を意図的に行っていった点はありましたが常に違和感がありました。こういった米国トップ大学進学における「誇張合戦」ともいえる現象については別の記事で触れたいと思います。
夏休みには、サッカーの合宿を一部諦め、二週間オーストラリア、パースの高校に留学しました。1/3でも少し述べた、高校生外交官プログラムでアメリカに3週間行く気しかなかったので、落選したときには高校時代に短期留学をすることはあまり考えていませんでした。しかし、京都府から留学の奨学金を貰えることになったため、せっかくだから海外の高校生活を経験したいと、渡豪することにしました。
パースの高校にて
到着するまである程度のワクワクと緊張感はあった一方で、サッカーで遠征慣れしていたり自分の気質の影響があったりして特に一人で英語圏で何かすることへの不安はありませんでした。マレーシアから移住してきたホストファミリーに初めて挨拶した際に、「あれ、君めっちゃ英語喋れるやん。全く困らなさそうやね。」というような反応をもらい、あ、これ案外何とかなるわ、肩の力を抜くことができました。なんやかんやで学校でのオーストラリア鈍りとネイティブのスピードには苦労しましたが、京都の公立でしか勉強したことのない自分にとってこの2週間はとても新鮮なものでした。
歯車が何とか回り始めた感触もある一方で、自分の目指す理想とは程遠く、度重なる失敗に常に焦りを感じていました。昨年度校内優勝者として参加したスピーチコンテストもまさかのクラス内書類選考で落とされ、「え、なんで俺が?」と思い悩みました。参加するビジネスコンテストでは全て一次選考で落選。昨年の雪辱を晴らそうと万全の状態で挑んだエコノミクス甲子園も決勝での判断ミスでまたも全国大会に進めず、常にもとかしい思いでした。サッカーでは相変わらずトップチームに入ることはできず、調子の上がっていた時期に腰の疲労骨折で長期離脱も経験し、中学時代の自分のサッカーに対する態度に後悔を感じながらもできることをやっていました。(高校時代の取り組み方が全く持ってベストではないのも今からすれば明白ですが当時の視点から書いているのでこれについては省略します)。
生徒会に対する諦め
自分に能力があればという反省は置いておいて、当時の自分は生徒会の理想と現実のギャップに苦しめられていました。私立学校で生徒が主体となってやりたいことを好きなだけやらせてもらえる生徒会とは全く違い、ほぼ教員と伝統によって決められた結論ありきのタスクをこなすだけの生徒会に自分は失望していきました。また、役員のマインドセットも保守的であったため、当時伝統や固定概念にとらわれる人間に無条件で嫌悪感をいだく傾向にあった自分は、彼らを敵対視するようになりました。特に嫌だったのが、役員選挙は本来生徒全員に被選挙権が与えられているものの、実際は既に生徒会に入っている人間から各役職に立候補する人間を一人決めるという形式的な選挙になっていたことです。一年の後期に当時の生徒会長のほぼ独断で役職の選挙にすら出られないことになり、生徒会長になるのが不可能になった時点でモチベーションはゼロになりました。今から思えば抵抗するだけの勇気があれば、生徒会会則上出馬の禁止は不可能なので、簡単に当選できていたのになあと後悔しています。まあ後悔するのは簡単なんですけどね。
求めている環境もなく、モチベーションもなく、はたまたそのようなコミュニティをいかにして変えていくのかというアイデアもなかった自分は、生徒会活動は海外受験のための肩書きとして必要最低限だけやっておこやっておこう(両立しているという事実に価値を感じていたので)という方向性に切り替えました。
12月-SAT subject test(注1)、撃沈
某海外トップ大進学塾の受験体験談を読んでいると、成功している学生はSAT subject test満点を早めにとっている生徒(帰国子女なことが多いが)が多いことに気づき、自分も一発で満点を取らないとというような心意気でSAT Subject Testに臨みました。。これから三年12月のSAT終了まで常に悩まされることになりますが、なぜかこのSAT(注2)というのが学校のテスト期間と丸かぶりすることが多く、まだ何回が余裕があると言う妥協も重なり、ほとんど勉強することができないままで受験しました。受験科目はMath2(注3)とWorld History。対策以前に、中国人の名前が全て英語表記になって意味がわからなくなったり、範囲も全然違うような世界史を文系だからと言って受けたのが大間違いでした。いろいろな情報源にも書いてあることですが、よほどアメリカ版世界史に精通していたり、一般的に日本人が得点を取りやすい理系科目が日本一できない等でない限り、Subject Testで文系科目をとるのは絶対にやめたほうがいいと思います。
3月-欠けていたピース
この段階ではまだハーバードが第一志望だったので、自分の中ではかなり苦しく、あきらめという言葉が頭によぎるとこもありました。
ハーバード入学のためのストラテジーとして挙げた数項目、ほとんど達成できておらず、特に重要視していた、全国・国際レベルでの活躍という項目が埋まっていませんでした。もし世界大会での実績や全国優勝ができなければ、ハーバードやIvy Leagueは射程外になってしまうのでは。そういった不安と向き合っていました。
しかし、今までまるっきりダメだったビジネスコンテストの中で、順調に勝ち上がり、全国大会への切符を手にすることができた大会が一つだけありました。Social Innovation Relayというソーシャルビジネスプランコンテストで全国大会出場7チームのうちの1チームとなることができました。当時のことを思い返すと、もちろん締め切り直前まで推敲したり練習したりと、ベストは尽くしていましたが、自分たちが優勝できるといったイメージや世界大会に行けるという確信はこれといってありませんでした。しかし結果は優勝、10ヵ国の参加する国際大会に参加することができました。
優勝し、帰洛した夜に母親に言ったことを覚えています。
「もし次国際大会で入賞できたら、まじでハーバード受けるから。」
と。
Social Innovation Relayを皮切りに、課外活動にかなり勢いがついてきました。
昨年度自身満々で応募し、二次選考で落選した高校生外交官プログラムにも、諦めがつかずダメ元で申し込んだところ、まさかの合格。三年の夏休みを3週間アメリカで過ごせることになりました。
結果がなかなか出ず、苦悩する中で、少しずつ光も見えてきた高校2年でした。
コラム: 留学はすべきか?
留学は全くする必要はないと考えています。前述したように二週間オーストラリアに留学しましたが、海外進学を~海外進学を目指すための英語力として、正直二週間で英語力が上がるかと言われればあまりそういうわけではなく、どちらかといえば海外の学生生活を体験できるので大学進学後に慣れという点で影響してくるかなあというぐらいだと思います。リスニングという点ではやはりネイティブの中に紛れ込めた点はプラスだとは思いますがそれが劇的に英語力を変えるかと言われるとそういうわけではありませんし、この短期留学がなくてもTOEFLで100点は取れていたと思います(3/3で書きますが、高三の時に100点を超えることができました)。海外受験のための英語力向上に留学は決して必要ではないので、そこは個人の考えや英語レベルにも寄るかもしれませんが、自分のやりたい経験を求めて海外に行く過程で、たまたま英語を使うくらいの心持ちで良いのではないかと思います。
注1. SAT Subject Test
アメリカ版センター試験SATの選択科目。多くのトップ大学で受験が推奨されている。
注2. SAT
アメリカ版センター試験
注3. Math2とは日本で言う数学2とは別のものです。